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戦争の原因をめぐって・10

 これまで書いてきたことから何が導きだされるだろうか。あくまでまだ仮説だけど。
 やはり、戦争が起きるには、あるモノに対する支配権をめぐる争いがある。モノといっても、いろいろある。

 典型的なのが領土である。そして、19世紀以降、第二次大戦前までは、その典型的なものが植民地をめぐる争いとしてあらわれていた。

 しかし、実際に自分の国でないものを「自分の領土だ」としてしまうことには道理がなく、だんだん許されなくなる。植民地が独立していくと、植民地をめぐる戦争はなくなっていく。

 それで浮上したのが、「勢力圏」をめぐる争いだ。もう領土として他の国を支配することは許されない。だから、政治的、経済的、軍事的に事実上の支配下においてしまおうとするわけだ。

 これも、米ソの冷戦が終わって、だんだん終わりつつある。アメリカの勢力圏下にあることを喜んでいるのは、日本くらいか(その日本も、安倍さんのもとで変わりつつある)。

 そしていまや(昔からと言えば昔から)、何が争いの対象になっているかというと、価値観に対する支配権とでもいうべきものだ。ソ連が崩壊し、アメリカの自由、人権、民主主義の価値観が世界を覆い尽くしたが、それに挑戦して戦争する国や勢力があり、それに対抗して、イラク戦争や対テロ戦争が遂行される。

 領土、勢力圏、価値観への支配権をめぐる争い。これが戦争の根源的な要因としてあげられると思う。

 古代ギリシャのツキュディデスは、戦争の要因として、利益、恐怖、名誉の3つをあげた。利益と恐怖は、私に言わせれば一体で、利益を得ようとして戦争し、利益を失う恐怖から戦争するという同じことだ。そして、その利益と恐怖の対象になっていたのが「領土」であり、「勢力圏」であった。そして、名誉というのは、まさにアテネが民主政のために戦争したように、「価値観」に通じる。

 そういう点では、私の分類は、古くからの戦争原因論と通じるものがある。突飛なものではない。

 ただ、これは根源的、本質的要因であっても、それだけでは戦争は起こらない。そんなことになれば、価値観の違う世界は戦争だらけである。

 そういう本質的要因を背景に、実際に、戦争に踏み切る政治指導者の決断というものは、別の角度で分析しなければならない。(続)


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